1969年に3日間開催された伝説のロックフェス「ウッドストック・フェス」の観客のスタイルを紹介しましょう。
引用:https://www.demilked.com/women-fashion-of-60s-woodstock-1969/
基本はジーンズ&プリント柄のTシャツというシンプルなスタイルが中心でしたが、ヘアバンドやエスニックな小物を加えてオシャレを自由に楽しんでいます。
引用:https://www.pinterest.com/pin/531424824752366589/
フリンジをふんだんに使ったドレス。このほか、インド綿なども人気でした。
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サイケデリックファッションの仕掛け人たち
グラフィックデザイナーのナイジェル・ウェイワースがガールフレンドのシーラ・コーエンとオープンしたブティック「Granny takes a trip」は、アーリービクトリア調のヴィンテージものの女性のドレスを使いフリフリのシャツに改造するなどし、斬新なスタイルで人気を集め、Led ZeppelinやRolling Stones、Pink Floydなど多くのミュージシャンのご用達の店になりました。
引用:https://br.pinterest.com/pin/285767538831702522/
ジョージ・ハリソンとパトリシア・ボイドも常連の一人。
引用:http://mashable.com/2015/11/01/rolling-stones-hyde-park/#aXSJsnex6sqU
1969年、ロンドンのハイドパークでのコンサートにビクトリア調のフリフリのシャツで登場したミックジャガー。古いものを斬新にリメイクして、ダンディズムを追求するところは実にイギリス人的です。
引用:http://manrepeller.wpengine.netdna-cdn.com/wp-content/uploads/2014/07/the-beatles-1967.jpg
1960年代には、スーツに身を包んでいたビートルズもサイケデリックな衣装を身にまとっています。彼らの「サージェント・ペパーズ・ロンリーハート・クラブ」「イエロー・サブマリン」などは、当時のサイケデリックブームを反映しています。
引用:https://modbrother.tumblr.com/post/146938050892/pink-floyd-at-piccadilly-circus-1967
シド・バレット在籍時のピンクフロイド初期はサイケデリック・ロックとして活動していましたが、中心人物であったシドがLSD漬けになり脱退。その後、前衛的なサウンドでプログレッシブ・ロックのジャンルで成功を収めました。
引用:http://pleasekillme.com/rock-stars-wearing-granny-takes-a-trip/
大御所、Led Zeppelinも初期はサイケデリック。東洋趣味が伺えるドラゴンの刺繍が施されジミーペイジのスーツ。ロバートプラントはジェンダーレスのプリント柄のトップ。
デヴィッド・ボウイの美学が注がれたグラムロック
ハードロックやプログレッシブ・ロック最盛期の1970年代初期に生まれたのが、グラムロックというジャンル。グラムロックはその派手なルックススタイルで分類されることが多く、音楽的にはグラムロックの明確な定義がありませんが、ハードロックやプログレッシブロックが複雑なのに対し、グラムロックはシンプルなリフを繰り返す曲調が多かったようです。英国のバンドでは、イギー・ポップ、モット・ザ・フープル、ロキシー・ミュージックなどが有名です。
このグラムロック・ブーム先陣を切ったのが、1971年のマーク・ボラン率いるTレックスです。彼らのデビューアルバム『電気の武者 +8 [ T.レックス ]』は全英チャート1位の大ヒットとなりました。メイクアップを施し、スパンコール、グリッター、ファーなどを使った煌びやかな衣装を身にまとい、派手なショーマンシップで観客を魅了しました。
引用:https://www.pinterest.com/lenek/t-rex/?lp=true
この時期、デヴィッド・ボウイは「スペイス・オディティ<2015リマスター> [ デヴィッド・ボウイ ]」に続くアルバム「世界を売った男<2015リマスター> [ デヴィッド・ボウイ ]」を発表。より独創的な美学を深めていきます。1972年には、1年半に渡るワールドツアーを決行。奇抜なメイクと衣装で架空のロックスター「ジギー・スターダスト [ デヴィッド・ボウイ ]」を演じ、高い評価を得ました。
ボウイスタイルに影響を与えた日本人デザイナー、山本寛斎
1970年代は東洋の文化がロックシーンとクロスオーバーした時代でした。デヴィッド・ボウイの独特な世界観を表現したライブに貢献したのが一人の日本人ファッションデザイナー、山本寛斎さん。当時、いち早くロンドンにオープンしていたショップにボウイが訪れそのうちの一着を購入。それをボウイがたいそう気に入り、1972~73年の「ジギースターダストツアー」衣装に寛斎を起用したのです。歌舞伎の要素を取り入れたものや、当時としてはまだ珍しいアンドロジナスな衣装が話題となりました。
日本の神話に登場する因幡の素兎を図案に採用。1971年 (昭和46) 、山本寛斎が日本人として初めてロンドンで開催したファッションショー、 “KANSAI IN LONDON” で発表された作品。その後、1973年デヴィッド・ボウイ初めてのワールドツアー「ジギー・スターダスト」、「アラディン・セイン」両ツアーでステージ衣装として使用された。 1970年代初め、古い時代の着物の柄に注目し、それに関する資料や書籍を熱心に研究していた山本寛斎。髑髏 (どくろ) や蛇の目傘、とんぼの姿まで着物の図柄に取り入れてしまう日本人のポップな感性に感銘を受けた作品。
彼が逝去した年の2016~17年は、グラムロック・ファッションが再びモードにのり、煌びやかなスパンコール、グリッター、光沢のあるシルキー素材など、タッキーな異色の色の組み合わせが登場しました。こうして、ボウイの美学は今日のファッションモードにも引き継がれています。
引用:https://www.kansai-inc.co.jp/ky/fashion/
引用:http://news.fashionhauler.com/remembering-david-bowie/
山本寛斎デザインによるのステージ衣装。袴をイメージした「トーキョーポップ」と呼ばれたジャンプスーツ(左)と両性具的なニットのワンショルダーのニット(右)は脚光を浴びました。
ボウイ亡きあと今もなお、グラムロックのファッションは、今なお、引き継がれています。
引用:https://www.vogue.co.jp/collection/trends/2016-12-13
2017年春夏コレクションではマークジェイコブスやグッチなどがグラムコレクションを発表しています。
めまぐるしく動く1970年代 パンクロック~ニューロマンチックへ
当時、台頭していたハードロックやプログレッシブロックに反発するように出てきたのがパンクロックです。複雑なサウンド構成と大規模な機材を使うハードロック勢に対し、パンクロックはスリーコード中心の単純なロックンロールを基にしていました。アップテンポで攻撃的なサウンドが特徴です。