新たな時代が訪れれば、新たな音楽ジャンルとファッションが生まれ、歴史が動けばそれに賛同する者反発する者により音楽とファッションが生まれます。
この3つのトライアングルがカルチャーを回していると言っても過言ではない程この3つは深く関係しています。
今回はその中でも、1970年代の移り変わる時代の中で生まれたパンクロックのファッションのについて紹介したいと思います。
目次
そもそも、パンクロックとは
パンクロックという言葉を聞くとほとんどのパンクロックファンは、セックス・ピストルズでしょ。と答えるかと思います。確かに大正解ではありますが起源という意味合いではそれは不正解です。実はパンクロックはイギリスではなくアメリカのニューヨーク発祥。自由奔放で、社会とは正反対を突き進むボヘミアン的思想によって生まれました。
ラモーンズが最初だとかクラッシュだとか、ファンの中では誰が最初かという論争が未だに絶えないですが、その論争をすること自体が正しく、誰によって生み出されたかということははっきりしていません。
パンクロックの音楽の特徴は一言で言うと攻撃的で粗く一本調子な音楽です。ロジカルな賢い音楽とは違い、ロックンロールやブルースのようなシンプルな3コード構成のアップテンポ、かつ歪みの効いた曲調であり、何よりブルースなどとは異なり曲のほとんどは跳ねていません。もしかしたらこの頃から、ヘッドバンキングのように跳ねていないからこそ乗れるリズムが生まれたのかもしれませんね。
白人はポップス、黒人はR&Bやブルースという区切りが明確になされていた1950年代ですが、人種に関係なく様々な要素を取り入れるようになった1970年代。その一つのジャンルがパンクロックと言えるでしょう。
セックス・ピストルズがイギリスにパンクミュージックを歌ったことから、パンクロックは1970年代に爆発的な人気となり、アメリカだけでなくイギリスでもパンクムーブメントが起きました。
ちなみにセックス・ピストルズはスタジオアルバムを1枚しかリリースしていません。その1枚こそ「勝手にしやがれ!! [ セックス・ピストルズ ]」。言わずもがな、パンクロック界の伝説的アルバムです。
白人音楽のイメージが強いですが、ピュアヘルやスティックメンなど黒人パンクバンドも存在しており、人種に関係無く愛された音楽です。
意外とシンプルな初期のパンクファッション
パックロックのファッションは、ずばりセックス・ピストルズによって確立されました。
詳しく言うならば、マルコム・マクラーレンという人物によって生み出されました。
1970年代のパンクファッションは私達がイメージする激しい色に染め上げたモヒカンにドクロとはかけ離れており、画像のようにとても落ち着いた印象です。
一番定番だったのは、細身のダメージジーンズにスタッズの効いた革ジャンという組み合わせで、髪型も寝癖のようなラフな髪型が主流でした。またトレンチコートやポロシャツなども組み合わされていることもこの時期のパンクロックファッションの特長です。
どちらかというと1960年代、一世風靡したモッズファッションと近いファッションスタイルで、モッズの影響をかなり受けています。モッズファッションとは、フォーマルなスタイルに、使い古された軍物のモッズコートやトレンチコートなどを組み合わせたファッションを指します。
モッズとの大きな違いはサイズ感にあり、モッズファッションでは父親の服を借りて着たようなルーズ感がありましたが、パンクファッションはその逆。ジャストサイズか、少しタイトめに着ることが多く、ルーズに着るとしても、ジャケットがルーズであればパンツがタイトであったりとメリハリを付ける傾向にあります。
パンクロックファッションが確立された1980年代
1980年代に入ると,まさしく私達がイメージするパンクファッションになります。服装はより攻撃的になり、スタッズやチェーンのアクセサリーはもちろんのこと、この時期からドクロマークが象徴的に取り入れられました。
死の象徴であるドクロはパンクの場合は死ではなく反戦という意味で取り入れられており、やはり社会への反発が見て取れます。
髪を逆立てて、サイドを刈り上げるモヒカンスタイルやスキンヘッドが流行りだしたのはこの頃で、少し後になり、男性だけでなく女性がパンクファッションを取り入れだしたのも1980年台に入ってからです。
明るく染め上げたショートカットの髪型にミニスカートが定番で、ボンテージなどSM要素のはいった過激な服装もこの時代によく見られます。
歴史的に見ても露出が増えファッションの自由度が格段に上がったのがこの1980年からだと言われています。アメリカでは未だにアメカジ一色だった時代にイギリスではファッションの幅を格段に広げていました。
日本でのパンクファッションの変化
1980年代後半、日本にもパンクブームが到来しました。さすが日本と言うべきか、時代を経てイギリスのオリジナルを真似るだけでなく、日本独自の新たなファッションスタイルを確立しました。それがゴシックロリータ、通称ゴスロリです。
もちろん1970年代や1980年代の古き良きパンクファッションを好む人も大勢いますが、女性によって、パンクをルーツにプラスアルファとしてヨーロッパ貴族の哀愁漂う高貴なファッションを加えたゴスロリというジャンルが確立されました。
コーディネートは黒がメインでひらひらのスカート、アクセサリーはドクロやバラなどが多く使われます。
ゴスロリというまで変化が突出すると、パンクミュージックが起源というわけでなく、パンクファッションの象徴であるヴィヴィアン・ウエストウッドのようなハイブランドに影響され、パンクとは関係なくファッションが独り歩きしたといったほうが適切でしょう。しかし、パンクファッションの知り合い的な位置であることは間違いありません。
そもそもパンクロックファッションの産みの親、マルコム・マクラーレンって誰??
パンクファッションを語る上で切り離すことが出来ない存在であるマルコム・マクラーレン。
彼がパンクファッションというカテゴリーその物自体を作り出しました。
彼はヴィヴィアンウエストウッドと共にブティックを経営しており、アメリカンパンクに影響を受け、彼が経営していたブティックのイメージをパンクに寄せるために「Let it Rock」という名前から「SEX」という名前に店名を変えました。その店でボンテージ系のファッションを売り出したのがパンクファッションが生みだされた前進となります。
また、音楽マネジャーでもあった彼は、自身が作ったバンドに洋服を提供、提案し、パンクロックバンドとパンクファッションを同時に世に売り出しました。
そのバンドの1つこそがセックス・ピストルズです。
いわばマルコムはパンクというものをイギリスに広めた影の立役者なのです。
ちなみに余談ですが、マルコムとヴィヴィアンウエストウッドは結婚しジョセフという息子を授かります。
彼は2016年に亡き父マルコムのパンクコレクション8億円相当を反逆の精神と言う名目で燃やしました。
「パンクの素晴らしいところは衣装なんて何もいらなかったというところ――安全ピンが1パッケージあれば、それで十分だったんだ」
と彼は語っています。
反体制的思想であるパンク精神を受け継いでいるということでしょうか、、、
つまりパンクの父からはパンクの子が生まれたというわけです。
そんな偉大なマルコム・マクラーレン、彼は2010年に亡くなりましたが、今なおファンの中では絶大な人気を持っております。
パンクロックを語る上で欠かせないファッションブランド
パンクファッションには定番ブランドがいくつもありますが、今回はその中でも不動の人気を誇るブランドを幾つか紹介します。
パンクファッションを語る上では欠かせないブランドなのでぜひ参考にしてみて下さい。
Dr, Martens from England
今ではパンクファッションのみに留まらず、どんなジャンルからも愛されているシューズブランド、ドクターマーチン。
このシューズはドイツ人の軍医、クラウスマーチンによって作り出されました。
ヒット商品であるシューズはクッション性のあるゴム製のソールとアイコンである黄色のステッチを施したブーツ。名称 ’1460’
従来のブーツのようにソールが木やレザーでなく、ゴムを用いたことにより抜群に履きやすくなったこと、アクセントで色の付いたステッチを使用したことから、ファッションに敏感なパンクロッカーの間で絶大な人気なりました。
今では様々なモデルがありますが、モデルも共通してトゥ(つま先)部分がぽてっと丸みを帯びており、パンクロックファッションのような細めのパンツを履くスタイルにはより靴が強調され愛称は抜群です。
また、靴紐を横一文字にして、タンが見えなくなるまでギチギチに紐を締め上げる紐の結び方がパンクロックファッションでは定番で、パンク結びという愛称まで生まれました。
Vivienne Westwood from England
一般的にはマルコム・マクラーレンよりも知名度は遥かに高い、自身の名を掲げたブランドであるヴィヴィアンウエストウッド。今ではハイブランドとして有名であり憧れのブランドでは無いでしょうか。
彼女のブランドは毎コレクションごとにコンセプトを変えており、パンクファッションのみでなくバイカーやハイブランド思考の人にも絶大な人気を持っています。
コンセプトの中でも一切曲がることない信念があり、それは、伝統を持って未来を作るということです。
18世紀中世の洋服など、過去の洋服などの伝統を崩すこと無く、現代に会う洋服を夜に送り出しているまさに天才的なセンスあるブランドです。
小物に評判があり、ネックレスやブレスレッドなどは世代に関係なく人気があります。
BOY LONDON from England
1977年、まさにパンク全盛期に生まれたファッションブランド、ボーイロンドン。
アイコンである翼のロゴは1980年代後半にイギリス中にムーブメントを起こし、様々なパンクバンドやセレブが愛用しました。
1990年代に、ブランドは一度休止していましたが、2012年に復活し手に入れやすくなりました。1990年以前の初期のボーイロンドンは古着市場でも見つけづらくなっており、パンク好きには欲しくてたまらないものになっています。
Schott from USA
パンクロックに革ジャンはマストであり、ラモーンズのジョニー・ラモーンも愛用していたことで有名なブランドであるショット。当時は使い古したショットのに安全ピンやスタッズを付け、パンクらしさを出していました。
ワンスターというモデルが定番で、一度は手に入れたい憧れのモデルではないでしょうか。
上質なレザーに丁寧な裁縫をしているので、まさに一生ものです。
袖を通してから、10年後20年後に自分自身の形に沿って味が生まれ、人生とともに成長してくれます。
パンクロックを題材にした映画
1970年代イギリス・アメリカだけに留まらず、世界中を魅了したパンクカルチャー、廃れること無く人気を誇るパンクミュージック、パンクファッションががわかる映画をご紹介します。
パンクとは何か!というのがこれさえ見れば感じることが出来るでしょう。
SLC PUNK!!! 1998年
ソルトレイクシティの田舎町で14歳のときにパンクに出会った2人と青年の物語。パンクを理解してくれる人チンケな田舎町には誰一人おらず、しかしその中でパンクを貫き通し、葛藤する若者をコミカルかつ悲しく描いた映画が「SLC PUNK!!!」です。
この映画では、主人公の二人は1980年代のパンクファッションを身に纏っています。
原色に染め上げたモヒカンやショートカット。スタッズだらけの革ジャンにスキニーパンツ。
舞台は田舎町なので、パンクファッションと街のアンバランスさがパンクは異端児のものであり、社会に反している浮いた存在というのをより引き出していて、まさにパンクが認められる過程を垣間見ることができる映画です。
ジュビリー 1978年
1578年エリザベス女王1世が、魔術によってイギリスの未来にタイムスリップするというSF作品が「ジュビリー」です。タイムスリップ先は金や女、麻薬が飛び交う無法地帯。未来の現実に落胆するも背を向けず向き合うさまを描いた内容です。
幻想的かつ観念的に描いており、小物使いや化粧などが非常にパンクらしさを出しています。例えば、逆さの十字架や真っ白に顔を塗っていたりなど、、、
またかなりの頻度で女性が登場するので、ボンテージなどの女性的なパンクファッションを見ることができます。
少年メリケンサック 2009年
おっさん4人組を引き連れて全国でパンクライブを行う笑いあり感動ありのドタバタコメディ映画「少年メリケンサック」。宮崎あおい主演で、日本人だったら誰もが名前くらいは聞いたことのある映画では無いでしょうか。
パンク絶頂期であった1980年代にパンクバンドとして活躍していた人達が歳を取り、昔を懐かしむ目線でパンクを描いています。
パンクファッションは少しやりすぎですが、これが日本が憧れたパンクであり、本場のパンクファッションとは少し違う日本独自のパンクファッションでもあります。
メリケンサックにに革ジャン、男のスカートなど、私服と言うよりはライブ衣装的なパンクファッションです。
まとめ
今回はパンクファッションについて歴史を踏まえつつ書いてみましたがいかがでしたでしょうか。パンクの根底にあるものはボヘミアン的な自由奔放な考えであり、縛られることのない自由な考えであればそれはパンクと言えます。
ファッションにしても、特にブランドやパンクファッションの定番にこだわらなくても、パンクっぽいな、、くらいの感覚で好きな服を着てみると意外とパンクらしさが出ます。むしろ、そういった考えでいたほうが、個人個人の色が出せるので、パンクにはドクロが必要だとか革ジャンが必要だとか深く考えずに、パンクファッションを楽しんでみて下さい。
IndiesMateでは、好きなバンドを応援したい方、自分のバンドをPRしたい方を募集しています。今回の記事と同じような紹介文を無料で掲載することができますので、気になる方はぜひこちらのページをご覧ください。