邦ロック(邦楽ロック)とは 意味や定義、話題のアーティストを紹介します!

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邦楽シーンのなかでも、バラエティに富んだジャンルで、リスナーを飽きさせない邦ロック。

しかし、そもそも邦ロックとは一体どんなジャンルなのでしょうか。

もしかして、なんとなく「邦ロック!邦ロック!」という言葉を使っていませんか。

恥ずかしい思いをしないよう、邦ロックとは何かをしっかり理解し、他ジャンルとの違いを明確にしておきましょう。

 

目次

邦ロックの読み方

海外の音楽を「洋楽」と呼んでいることに対して、日本の音楽を邦楽と呼ぶことはほとんどの方がご存じでしょう。

邦楽のなかでも特にロックの分野を「邦ロック(ほうロック)」といいます。

 

1990年代、日本のロックを「J-ROCK」と呼んでいた時期がありました。

しかし、この呼称は浸透することなく、いつの間にか消えてしまっています。

また、90年代は、当時ブームとなった渋谷系のなかには一部邦ロックもありましたが、小室哲哉プロデュースの流行、ドラマ主題歌の大ヒットなどに押され、日本のロックは影を潜めました。

それでも、Hi-Standardを筆頭としたメロコアが音楽ファンに浸透していき、90年代末期から2000年代初頭にかけてFUJI ROCK FESTIVALなど日本を代表するロックフェスが始まり、洋楽・邦楽混合してフェスに出演していたので、海外のロックミュージシャンと区別するため、洋楽ロックに対し、邦楽ロックまたは邦ロックと呼ばれるようになりました。

 

邦ロックの意味、定義

日本の場合、もしかしたら「バンド=ロック」と捉えている人もいるのではないでしょうか。

しかし、必ずしもバンド=ロックではない、ということに注意してください。

 

ギターなどの生演奏で歌うグループだとしても、ロックではなくJ-POPと呼んだ方が相応しいグループも多く存在しています。また、バンドではなくソロとして活動している、ロックミュージシャンを語るアーティストもいます。ロックで演奏される楽器はギター・ベース・ドラムという構成に限らない、ということも忘れてはいけないでしょう。近年ではテクノなどの要素を取り入れ、デジタルサウンドの邦ロックも多く存在します。

 

それでは、邦ロックはどのように定義したらいいのでしょうか。

明確に定義づけるためには、邦ロックの歴史を紐解く必要があるので、時代を追って考察していくことにしましょう。

 

邦ロックのはじまり

邦ロックファンをはじめとした多くの音楽リスナーの間では、邦ロックの元祖は「はっぴいえんど」であると認識されているでしょう。
しかし、それ以前にもバンド形式で活動しているグループは存在していました。

では、そういったグループと日本のロックの始まりといわれるはっぴいえんどは何が違うのでしょう。

 

はっぴいえんどが活動していた1960年代後半から1970年代前半、日本で流行っていたのは演歌や歌謡曲で、ロックといえばビートルズをはじめ海外のものと認識されていました。

そんな時代背景のなか、はっぴぃえんどは海外のロックのサウンドに日本語詞をのせたため、それが日本語で歌う最初のロックといわれるようになりました。

ただし、同じ時期にはいわゆるグループサウンズ(GS)が流行しています。

 

GSもはっぴいえんども海外のロックに影響を受けていますが、GSの場合、例えばビートルズがアイドル的扱いをされていたように、音楽性よりもファッションやビジュアルの影響を受けた面の方が強いといっていいでしょう。

それに対しはっぴいえんどは、テレビ出演こそあるものの頻繁にあるわけではなく、ビジュアルよりも音楽性が注目されるようになりました。
とりわけ歌詞は、GSのような甘い恋愛とは対照な、抒情的で文学性が高く、今もなお熱い支持を集めています。

すなわち、邦ロックの始まりは1960年代後期、ファッション・ビジュアル面はGSから始まり、音楽性は「はっぴいえんど」が広めた、と定義することができます。


GSを代表するバンド「ザ・スパイダース」

 

日本語ロック論争と邦ロックの確立

しかし、はっぴいえんどのほかにも、日本にはロックバンドが存在していました。

例えば、ザ・フラワーズ(のちのフラワートラベリンバンド)で活動していた内田裕也やGS活動していたザ・モップスなどは、海外のロックバンドのコピーに始まり、オリジナル曲も英語詞で歌っていました。そのため、当時の邦ロックは日本語詞と英語詞の2つに分かれていたのです。

 

この2極化は「日本語ロック論争」といわれ、ロックに日本語は乗らない、と唱える人も現れました。

しかし、この2極化を打破したロックバンドがあります。

 

それは、あの矢沢永吉がフロントマンを務めたバンド・キャロルです。

キャロルの歌詞には、日本語のなかにカタカナ英語も混ぜることで、ロックのサウンドに日本語を乗りやすく・聴きやすくしたのです。

この「日本語+英語」の歌詞は、現在の邦ロックのみならず、J-POPにも引き継がれています。

つまり、邦ロックの確立は、1970年代前半にキャロルが決定づけたと意味づけることができます。