日本のカントリーミュージャン6選 本場アメリカにも絶賛される歌手を紹介

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ライブでは、ハンバートハンバートの世界にどんどん入り込んで行くような感覚になります。是非一度、ハンバートハンバートを聴いてみてください。

アメリカンルーツミュージックをたっぷり吸収したハンバートハンバートの音楽には、カントリーテイストが存分に溢れています。

多彩なメロディに寄り添うフィドル、マンドリン、ホイッスル等のカントリー定番の楽器を駆使した楽曲のアレンジは、日本のカントリーミュージックとして語るのにふさわしいのではないでしょうか。

夫婦の2人組という佇まいと、彼らのライフスタイルから感じられるフィーリングは、日本人のイメージとしての「カントリー調」というものを分かりやすく提示してくれています。

2011年にリリースされた2枚目のアルバム「Humbert Humbert ハンバートハンバート / アメリカの友人 【CD】」の中の”アメリカの恋人”は彼らのアメリカ音楽に対するラブソングであり、日本のカントリーミュージックの代表曲と言っても過言ではない名曲です。

20年近くに及ぼうとしている彼らの音楽の足跡なくして、日本のカントリーミュージックは語れないでしょう。

 

ジミー時田

ジミー時田は1957年に活動を開始した満州生まれのカントリーミュージシャンです。

ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズと言うアルバムが日本のカントリーミュージックとしてわかりやすいものになるでしょう。ジミーの名前はジミーロジャースからとったそうで青山学院在学中にバンドを結成、その中のメンバーにはいかりや長介や寺内タケシと言う豪華な面々が揃っていました。

英語の発音が非常に上手で二年間米国に渡ってコンサートを続けた中で、現地のアメリカ人から本当に日本人なのかと驚くほどだったそうです。なぜそうなったかと言うと幼少の頃に並外れた英語に対しての努力があってこそだそう。レパートリーの種類は数千にも及びカントリーのミュージックに多大な影響を与えただけでなく、ジャズなど他のジャンルの歌手にも影響を与える事になりました。

ジミー時田は、カントリーの中でもカントリーウェスタンで有名な歌手です。さらに、ジミー時田の場合は米軍キャンプのクラブにて演奏をしていたこともあるので、その当時流行っていたロックやジャズなど、なんでも演奏することができたそうです。

ジミー時田の楽曲は非常にアメリカンでありながら、情景がふわふわと思い浮かんでくるようなゆったりとしたものが多く、心があたたまります。また、彼の発音も他の日本人アーティストと比較してもずば抜けており、海外からの評価も非常に高いことがその事実を語っているのではないかと感じます。

青山学院大学在学中にマウンテンプレイボーイズを結成し、最初のアルバムを1962年に「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ / 西部劇主題歌のすべて」をキングレコードからリリースします。

結成直後はメンバーは固定しなかったが、主に米軍キャンプ(立川、横田や横須賀)に出入りしているミュージシャンがメンバーに入っており、その中には上京したてのいかりや長介や寺内たけしがいました。

その当時の日本では、カントリーウェスタンやロカビリーが流行っており、あの坂本九にしても売り出しの頃はギターを弾きながらロカビリーをしていたことで有名です。

そして、ジミー時田のキャリアにおいておすすめしたいアルバムはやはり「これが西部劇主題歌」。この作品は1971年の作品であり、ジミー時田の全盛期に当たるとは言えません。音楽的にもジミー時田が30後半になる頃であり、著書からもその時期の自分の音楽性についてだったりの相当の悩みがあった中での作品だそうです。