TOKYO HEALTH CLUBとは 独特なリリックでリスナーを魅了する新世代HIPHOPクルーをご紹介

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音楽好きの皆さんこんにちは。今回は、おすすめのインディーズHIPHOPアーティストを選んでみました!あのスチャダラパーの再来と言われている、1DJ&3MCで構成される4人組のCrew(クルー)、TOKYO HEALTH CLUB(以下THC)です。この記事をきっかけに皆様にHIPHOPの魅力が伝わり音楽生活の幅が広がってくれればとても嬉しいです。

TOKYO HEALTH CLUBとは

TOKYO HEALTH CLUBとはメンバーが全員多摩美術大学出身の新しいタイプのヒップホップのアーティスト集団です。1DJ+3MC、メンバーは、DULLBOY, SIKK-O, JYAJIE, TSUBAME。

結成は2010年。「ジャマイカじゃないが飛べるTHC」(3rdアルバムON-飛んでくLOVEより)と歌うラッパー集団TOKYO HEALTH 飛んでくLOVEことTOKYO HEALTH CLUB、略してTHC。
THCとは、日本国内では違法とされている(アメリカでは州によって合法)ある植物に含まれる成分の名前であり、彼らはその事実をよく理解しながら韻を踏みまくっています。
このように、挑発的とも言える危険な匂いを放つヒップホップクルー、TOKYO HEALTH CLUBですが、このTHCが今、ニュータイプのヒップホップクルーとしてあらゆる業界、メディアから注目を集めつつあります。
メンバー4人がサングラスをかけ、独特のユーモアセンスでリスナーの興味を引きつけるBEATの上の革命家、THC。彼らはどのような経緯で出会い、結成に至ったのでしょうか。
始まりは、メンバーのSIKK-Oが飲み会の悪ノリでTSUBAMEの作ったBEAT にRAP を乗せたことだったそうです。これを機に音楽活動を開始したメンバーでしたが、当初JYAJIEはベーシストとしてライブに参加していました。
その後、MCに転向、時折フィーチャリングでゲストとして参加していた外部メンバーDULLBOYがメンバーに加わり現在の編成となりました。

メンバー全員が多摩美術大学の同級生。TOKYO HEALTH CLUBは2012年9月に謎の動画「OMAKE OP」を皮切りにYoutubeに様々な楽曲をアップしています。わずか14秒の簡単な動画ですがTHCを知れば知るほどその深みとユーモアさが伝わってきます。ぜひご覧あれ。

HIPHOPの歴史

彼らの音楽性を紹介する前にラップ・HIPHOPの歴史について触れたいと思います。
従来よりラップは言葉遊びであり、作り出されたビートに言葉を乗せます。ただ言葉を乗せるだけではなく韻を踏むことがラップと言われてきました。ラップやHIPHOPを苦手という日本人は比較的に多いですが、THCの音楽は聴いているものを決して不快にさせない周波数を放っており、それは新しい時代を背負って行くのに申し分のない洗練された音楽といえます。
日本のHIPHOPにも、もちろん歴史があります。数々の諸説がありますが、1985年、高木完と藤原ヒロシがタイニーパンクスを、モンチ田中らがDJグループM.I.Dをdj Honda、DJ KOOらがリミキサーグループThe JG’sを結成したことが1つの起源とされています。同年、いとうせいこうがアルバム「業界くん物語」をリリースした頃です。
他に、ザ・ドリフターズの13枚目のシングル「ドリフの早口言葉」やスネークマンショーの「スネークマンショー」小林克也率いるザ・ナンバーワン・バンドが「うわさのカム・トゥ・ハワイ」吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」などが日本語ラップの源流と言われています。
1980年代も後半になると、数々のHIPHOPアーティストが台頭し始めます。THCの音楽性の根本も、この頃から確実なものとして根付き始めているように考えられます。1987年には米国からパブリック・エナミー等が来日したり、中西俊夫、高木完、藤原ヒロシ、屋敷豪太、DJ K.U.D.Oらがレコードレーベル「MAJOR FORCE」を設立し、DJ Underground Contestを開催するムーブメントが起こり、まさにHIPHOPが一大ブームとなりました。
さらに、TWIGYやRHYME STERといった、今もその名を轟かす実力者ラッパーが登場し始め、1990年5月5日、THC の音楽性を語る上でも最重要となる、スチャダラパーが1枚目のアルバム「スチャダラ大作戦」をリリースしました。

そして、日本テレビ系列「天才・たけしの元気がでるテレビ!!」でダンス甲子園が始まります。ここでLLブラザーズや、ZOOなどがテレビ出演し始め、ヒップホップ系ファッションが流行となります。東京の街には「ダボっ」とした洋服の着こなしをするB-boyが増え始め、同時期には、東京渋谷宇田川町辺りを拠点に活動し、B-boy熱の起爆剤となった伝説のHIPHOPグループMICROPHONE PAGERが結成される。彼らが日本のヒップホップのオーバーグラウンド進出へのキーとなりました。

MICROPHONE PAGER、RHYME STER、キングギドラにB-boy 達は熱狂を重ねていました。時を同じくして、1994年3月9日スチャダラパーと小沢健二のシングル「今夜はブギーバック」が発売され累計50万枚以上の売り上げを記録すると、同年8月21日 EAST END×YURIが「DA.YO.NE」を発表し、日本のヒップホップミュージックとして初めてミリオンセラーを記録します。この爆発的な売れ行きを基に、日本人にラップが根付き始めます。

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